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2008.04.14(Mon)


工藤静香
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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工藤静香
基本情報
出生日 1970年4月14日(37歳)
血液型 B型
学歴 日本音楽高等学校中退
出身地 日本・東京都羽村市
ジャンル J-POP
職業 歌手、女優
活動期間 1985年 - 現在
レーベル ポニーキャニオン
事務所 プロダクション尾木(1987 - 1995年)
Purple Inc. (1995年 -)
表・話・編・歴
工藤 静香(くどう しずか、1970年4月14日 - )は、日本の歌手、タレント、宝飾デザイナー。本名: 木村 静香(旧姓: 工藤)。元おニャン子クラブのメンバーである。夫は木村拓哉。

また、「愛絵理」(あえり)名で作詞もしている。




目次 [非表示]
1 略歴・人物
1.1 ミス・セブンティーン〜おニャン子時代
1.2 ソロデビュー以降
1.3 結婚〜現在
1.4 中島みゆきとの関わり
2 ディスコグラフィ
2.1 シングル
2.2 企画盤シングル
2.3 オリジナルアルバム
2.4 カヴァーアルバム
2.5 ベストアルバム
2.6 非公認作品
3 出演
3.1 NHK紅白歌合戦
3.2 映画
3.3 テレビドラマ
3.4 バラエティ
3.5 ラジオ
3.6 CM
3.7 アニメーション
4 外部リンク



[編集] 略歴・人物
東京都西多摩郡羽村町(現・羽村市)出身。日本音楽高等学校中退。血液型B型。愛称:しーちゃん、しずちゃん。


[編集] ミス・セブンティーン〜おニャン子時代
幼少期を羽村市で過ごす。小学生の時には劇団「東俳」に所属。

1984年第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」に出場(同コンテストの同期には国生さゆり、渡辺美里、松本典子、網浜直子、斉藤さおりなどがいる。翌1985年1月、木村亜希、柴田くに子(後の森丘祥子)と「セブンティーンクラブ」の一員としてCBSソニーからデビュー、2枚のシングルを発表し解散。メンバーは日本テレビのアイドルユニット「B・C・G(美少女からふるギャング)」のオーディションに参加し、木村のみが合格する。

高校へ進学した1986年5月、『夕やけニャンニャン』番組スタッフの勧めでおニャン子クラブのオーディションを受け合格、会員番号38番となる。既に歌手活動をしていたことやモモコクラブのメンバーであったことが話題となったが、突出した玄人っぽさを見せることは無く、クイズ等で見せる「バカキャラ」(自ら「だってあたしバカなんだも〜ん」と発言したこともある)や「ヤンキーキャラ」(バイクが大好きと公言、素行不良であるらしいという噂が絶えなかった、など)で注目されるようになる。10月には渡辺満里奈のソロデビュー曲「深呼吸して」で生稲晃子とともに「with おニャン子クラブ」としてバックコーラスを担当する。

1987年5月7日、生稲晃子・斉藤満喜子とユニット「うしろ髪ひかれ隊」を結成。5月21日に発売のおニャン子クラブ8枚目のシングル「かたつむりサンバ」ではフロントボーカルに抜擢されるなど、終焉に向かっていたおニャン子クラブの中で人気、知名度を上げていく。 

セブンティーンクラブやおニャン子の事を隠し立てはしておらず、TV番組のトーク等で話題にすることもある。木村亜季と清原和博の結婚を木村本人から報告を受けたといい、おニャン子時代のエピソードを話すこともある。コンサートで「会員番号の歌」の自身のパートを歌ったり、NHK『ふたりのビッグショー』(共演は工藤のモノマネを得意としていた森口博子)で「セーラー服を脱がさないで」の一節を振りつきで披露した事もある。ただトークではネガティブな話題(おニャン子の誰が嫌いだったか、無視されたことがある、など)にも多々触れるため、一部のおニャン子ファンの心象を悪くしていることも否めない。おニャン子クラブは学業最優先が原則であったが、工藤はあまり真面目に学校へ通っていなかったことを後に告白している。


[編集] ソロデビュー以降
『夕やけニャンニャン』最終回の1987年8月31日、「禁断のテレパシー」でソロデビュー。その後ヒット曲を連発し、1980年代後半から1990年代前半を代表する女性歌手の一人となる。特に1989年は「恋一夜」「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」と50万枚以上の大ヒットを連発し、その年のシングル年間ランキング上位10曲の中に3曲入った。「黄砂に吹かれて」はオリコン6週連続1位の記録を持っている。またこの曲でTBS系『ザ・ベストテン』最終回の1位を飾った(緊張のためか歌詞を数ヶ所間違えるハプニング)。おニャン子関連の曲もしくはおニャン子出身者の曲でベストテン第1位を獲得したのは工藤静香ただ一人である。またこの番組の1988年年間ランキングで6位に入った。

1988年に発売されたミニアルバム『カレリア』で「愛絵理」ネームで作詞をする。以降も作詞の際はこの名前を使用。「愛絵理」は両親が命名の際に第1候補として考えていた名前である。

1994年3月20日に発売されたシングル「Blue Rose」ではソロデビューから全ての楽曲(本人作曲を除く)を提供していた後藤次利と離れ、セルフプロデュースを展開。作詞はほとんど本人が担当し、都志見隆、松本俊明等の作曲家が参加。

バラエティ番組でも『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』等で活躍し、特にとんねるずとの共演が多い(おニャン子時代特に目をかけられていたわけではなく、1988年のドラマ共演以降)。1997年に石橋貴明とユニット「Little Kiss」を結成してシングル「A.S.A.P.」を発売。音楽番組で歌唱中に実際にキスするパフォーマンスが話題を呼んだ。石橋からは「姫」と呼ばれている。

1987年10月から5クール(1年3ヶ月)連続でドラマ出演するなど女優としても活躍。以前三上博史の恋人役として共演したドラマで、寝ている三上の唇を工藤が指で触れる、というシーンがあった。実は工藤はその直前の休憩時に隠れて煙草を吸っていたのだが、煙草の匂いが指に残っていたため、演技中に三上にバレてしまった。という事を『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』でネタにしていた。また出演した映画『極道の妻たち』の地方ロケの際、「静香が見えねぇ!!」と地元のヤンキー達が乱闘騒ぎを起こしたというニュースがあった。

画家として二科展に12回の入賞実績がある。

2000年〜2002年、友人YOSHIKIが主宰するレコード会社「EXTASY RECORDS」に所属。一時期2人は交際しており、その時の髪色など風貌はYOSHIKIそっくりだった。


[編集] 結婚〜現在
2000年11月、SMAPの木村拓哉と結婚。結婚後、工藤と木村は工藤の両親と同居している。そのため木村のファンの中には、木村が婿入りし現在の本名は「工藤拓哉」だと勘違いしている者がいる。木村と違って子供のことをよく話す。

2001年5月1日に長女「心美(ココミ)」と、2003年2月5日に次女「光希(ミツキ)」を出産したことで音楽活動からは遠ざかっていたが、2005年2月16日に久々のシングル「Lotus〜生まれし花〜」を発売。所属レコード会社はデビュー以来の「ポニーキャニオン」に復帰した。

2004年にラスベガスにて自身がデザイン・プロデュースする宝飾ブランド「TREASURE IIII」がデビュー。日本でなく海外で発表したのは、「工藤静香」の名前のみが注目されデザインが適切に評価されないことを避けるためだったらしい。

2007年5月23日には「雨夜の月に」をリリース。「Lotus〜生まれし花〜」以来、久々に自身による作詞のシングル曲となった(フジテレビ系ドラマ『麗わしき鬼』主題歌にもなっている)。

2007年8月31日には、ソロ・デビュー20周年をむかえた。それを記念してベストアルバム『Shizuka Kudo 20th Anniversary the Best』、10枚組DVD『Shizuka Kudo THE LIVE DVD COMPLETE BOX』(1988年〜1999年のライヴ映像の集成)を発売し、東京と大阪でライヴも開いた。本人が気に入っているにしおかすみこのモノマネや、観客のリクエストに答えて「かたつむりサンバ」の一節を披露する場面がTVで報じられた。東京ライヴの模様のダイジェストは、シングルのカップリング曲を集めた作品集『20th Anniversary B-side collection』(2008年3月5日)の初回限定生産盤の付属DVDに収録されている。

2007年11月12日の『英語でしゃべらナイト』に出演し、子供に教えながら勉強しているという堪能な英語を披露し、パックンを驚かせた。


[編集] 中島みゆきとの関わり
工藤にとって歌手として躍進を遂げたのは、日本の巨匠シンガーソングライターのひとり、中島みゆきとの出会いがあったことであろう。1988年にリリースしたシングル、「FU-JI-TSU」を皮切りに中島より多くの詞の提供を受け、それらからヒット作が多く生まれている。なお、中島はこれまでに40人を超える歌手に曲や詞を提供しているが、工藤への提供曲・詞は20本にのぼり、この中では最多である(これに次ぐのが研ナオコへの15本と、柏原芳恵への4本)。

ソロデビューした当時、中島みゆきを担当していたディレクター(ポニーキャニオン所属。当時中島もキャニオン所属であった)が工藤を兼任することとなり、かつ、デビュー前に工藤が「中島みゆきと松任谷由実のどちらが好きか」と聞かれて、中島みゆきと答えたことから縁ができたとされる(それ以前より中島の曲に影響されたともいわれている)。これは日本テレビ系の音楽番組『FAN』に出演した際、進行役・永井美奈子のトークで工藤が明らかにした。工藤自身、「中島みゆきさんほど憧れる人はいない」と語っている。

工藤が中島と初対面したのは20歳頃(1990年頃と思われる)で、音楽雑誌に掲載された対談であった。

デビューから工藤のバックバンドを務めていたミュージシャンは、ほとんどが中島みゆきのバックバンドを務めており、そして当時工藤の曲のほとんどを作っていた後藤次利も、中島とはかつてバックバンドだけでなく、編曲やプロデューサーとして組んでいたミュージシャン仲間の一人でもあった。

1996年11月7日に発売されたシングル「激情」ではこれまで詞のみの提供だった中島が詞だけではなく、曲も提供するようになり、編曲も瀬尾一三が担当している。なお、これ以後の工藤への提供曲はすべて中島作詞・作曲、瀬尾編曲のものである。

また、「千流の雫」や「優」などの愛絵理(工藤のペンネーム)が書いた詞は中島みゆきの影響を深く受けた印象が強い。








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