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2008.04.08(Tue)


アグネス・チャン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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陳美齡
アグネス・チャン
出生 1955年8月20日
香港
職業 歌手、タレント、エッセイスト、教育学者
各種表記
簡体字 陈美龄
繁体字 陳美齡
ピン音 Chén Měilíng
注音符号 ㄔㄣˊ ㄇㄟˇㄌㄧㄥˊ
和名表記 アグネス・チャン
発音転記 チャン・メイリン(広東語)
チェン・メイリン(北京語)
ラテン字 Chan Meiling/Chen Meiling
英語名 Agnes Chan
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アグネス・チャン(Agnes Miling Kaneko Chan、中国名:陳美齡(チャン・メイリン)、日本名:金子 陳美齢(かねこ チャンメイリン)、1955年8月20日 - )は、イギリス領香港(当時)生まれの歌手、大学教授、エッセイスト、小説家、日本ユニセフ協会大使。カトリック信者で、洗礼名が「アグネス」、苗字が「陳」(チャン)。教育学博士の学位を持つ。血液型AB型。

目次 [非表示]
1 経歴
2 政治的活動
2.1 児童ポルノの単純所持規制
2.2 日本ユニセフ協会大使
3 ディスコグラフィー(シングル)
4 ディスコグラフィー(アルバム)
5 音楽ビデオ
6 音楽DVD
7 みんなのうた
8 主要著作
9 レギュラー番組
9.1 現在のラジオ番組
9.2 過去のテレビ番組
9.3 過去のラジオ番組
10 出演TVドラマ
11 CM
11.1 出演テレビCM
11.2 CMソングのみ
11.3 その他
12 関連項目
13 外部リンク
14 脚注



[編集] 経歴
中学生の時に始めたボランティア活動で、ギターを手に募金を集めた。これが噂になり、香港のフォーク歌手のオムニバスアルバムへのレコーディングの話が出た。
1971年にこの『Second Folk Album』と題するオムニバスアルバムで、姉のアイリーン・チャンと共にジョニ・ミッチェル作の「The Circle Game」をカバーした結果、評判が良く、シングル化もされて大ヒットした。この時期、アイリーンは香港の映画界で人気を得、日本でもテレビドラマ出演などを果たしたが、日本の芸能界では妹アグネスほどの成功は収めていない。
1972年には姉のアイリーン・チャンらと張徹監督の映画『年輕人』『反叛』に出演、映画が配給されたマレーシア、タイなどの東南アジアでも人気がでるようになった。
香港のテレビ番組で知り合った平尾昌晃によって日本に紹介され、1972年11月25日にワーナーパイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)より「ひなげしの花」で日本デビュー。当初の衣裳はロングであったが、ミニスカートに変えて人気が急上昇した。日本語ができなかった当時、事務所で食べる出前の食事には、中国系だからと毎回のように中華丼ばかりが用意され、嫌いな食べ物になったという。
1973年「草原の輝き」で日本レコード大賞新人賞を受賞するなど、高く澄んだ歌声と、愛くるしいルックス、たどたどしいが一生懸命日本語で歌う姿勢が受けて、人気アイドルとなった。
1973年の「小さな恋の物語」が大ヒットし、オリコンチャート1位を獲得。だが、前作の「草原の輝き」の印象が強烈すぎるせいか、この曲は世間一般での印象が薄く、テレビの懐メロ番組でも歌われることは少ない。
1974年、「草原の輝き」が春の選抜高等学校野球大会の入場行進曲に選ばれる。また、ブロマイドの売上成績第1位に輝く。この頃、コンサートのバックバンドとして鈴木慶一とムーンライダーズを起用、司会は植田芳暁。上智大学国際学部に入学したが、父の勧めもあって、1976年に芸能活動を休んでカナダのトロント大学へ留学(編入学)し社会児童心理学科に入ったが、父は翌1977年に他界し、卒業する姿を見せることができなかった。1976年のさよならコンサートの前からホットケーキがコンサートに参加。
1978年にトロント大学を卒業後、8月に日本に戻り、吉田拓郎作曲の歌「アゲイン」で芸能活動を再開。復帰コンサートツアーのひとつとして、中国人歌手としては初となる日本武道館でのコンサートも行った。レコード会社は次の「やさしさ知らず」からSMSに移籍。
1979年に香港で、初の広東語アルバム『雨中康乃馨』を発売。日本ではゴダイゴとのコラボレーションアルバム『AGNES IN WONDERLAND 不思議の国のアグネス』と『ABC Agnes』を発売。
1984年国際青年年記念平和論文に応募し、特別賞を受賞。フジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』の主題曲「愛のハーモニー」から徳間ジャパンにレコード会社を移籍。
1985年、芸能活動のみでなく、ボランティア活動を再開するようになった。4月、北京首都体育館で5万4千人を動員して宋慶齢基金会チャリティーコンサートを開催、中国で記念のベスト盤カセットテープが販売された。
同年、日本テレビの『24時間テレビ』のために、旱魃による食料不足状態にあったエチオピアを取材。単に悲惨な情況を伝えるだけでなく、「ロンドン橋落ちた」の替え歌をアムハラ語で歌って現地の子供と交流する様子も伝えられた。
1986年、元マネージャーの金子力(現所属事務所社長)と結婚し、カナダで長男を出産した。翌年子連れでの仕事を再開したことについて、林真理子が論評『いい加減にしてよ、アグネス』で批判した。これを端初にアグネス論争が起き、「アグネス」が新語・流行語大賞大衆賞を受賞するほどの社会的論争となり、日本の働く母親、女性の立場を再考させるきっかけとなった。
1988年、飛鳥涼(現ASKA)作詞・作曲の歌「LIFE」でポニーキャニオンに移籍。
1989年には米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学、現地で次男を出産。東京大学とスタンフォード大学の卒業生の10年後の姿を調査し、日米両国の男女間格差の実態をまとめ、1994年教育学博士号(Ph.D.)を取得した。この時の論文は『この道は丘へと続く』と題して2003年に日本でも出版されている。
1992年前後、フジテレビ系「たけし・逸見の平成教育委員会」に生徒役として数回ゲスト出演。国語の問題に関しては「中国語ではこう言いますよ。」等の珍答で、北野武先生や逸見政孝に「国語の授業って言っても、ここは日本なんだから、日本の国語で答えて下さいよ。(要旨)」等の「突っ込み」を入れられ、番組を盛り上げた。
1994年、目白大学の助教授に就任(2008年現在は客員教授)。国際コミュニケーション学を担当する。後に著名となる教え子に猫ひろしがいる。猫は「アグネス・チャンの日本語が片言だから、コミュニケーションがとれないの。」とネタにしている。
1996年、香港にて三男を出産。その後もエッセイスト、共栄大学客員教授として日本全国で講演を続けた。
1998年には初代日本ユニセフ協会大使に就任した(後述)。
2000年には日本クラウンに移籍し、ロングヘアをやめてイメージチェンジして、「この身がちぎれるほどに」を歌うなど、ムード歌謡の分野で歌手活動に力を入れるようになった。8月に台場小香港に香港雑貨店「CHAN'S」を出店(現在はネット通販のみ)。
2002年には小説『パーフェクト・カップル』、『銃弾の指輪』を出版し、作家活動も開始した。翌年には月刊『すばる』に短編小説の連載もしている。
2005年にリリースした、初のセルフカバー曲『草原の輝き2005』はアサヒ飲料十六茶のコマーシャルに使われた。9月に発売された『しあわせの花』は、手話を取り入れた振り付けで歌った。10月には広島大学の主宰する「ペスタロッチー教育賞」の14回目を受賞。
2006年2月、ジャッキー・チェンとのデュエット曲を含む英語盤CD『 Forget Yourself』をアメリカで発売した。12月には日本デビュー35周年を記念するコンサートの第一弾が行われた。年末に香港で唾液腺腫瘍の摘出手術を受けるも、その後早くも年明けから芸能活動を行う。
2007年には平和をテーマにした自作曲など3作のシングルとアルバム、それに著作の発売が予定されている。また、日本各地で日本デビュー35周年のコンサートツアーが行われており、2008年までに100個所を越える予定。
同年9月には北京の人民大会堂でのチャリティーコンサートが予定されていたが、中国共産党の指示を受けて延期され、その時に空いたスケジュールで受診した検査で初期の乳ガンが発見され、10月に摘出手術を受けて無事成功、わずか1週間で芸能活動を再開している。人民大会堂万人礼堂でのコンサートは10月31日に行われ、同会場での初のポップス系コンサートとなった。
平和をテーマにした曲の第一弾は、自らピアノを弾きながら、山本伸一の詞にメロディーを付けた『そこには幸せがもう生まれているから』。カップリング曲の『みんな地球に生きるひと』は歌詞も自作である。最新曲である、第二弾も、山本伸一作詞の『ピースフルワールド』。
2007年の11月には創価学会の本部幹部会に出席している。

[編集] 政治的活動

[編集] 児童ポルノの単純所持規制
これまでにも児童ポルノに関しては厳しい立場をとっており、2008年3月11日に元法務大臣の森山眞弓と共に児童ポルノの単純所持禁止、ゲームや漫画等で児童を性的に描いたものも「準児童ポルノ」として禁止するべきだとして、政府、国会に求める発言をしている。しかし、児童ポルノの単純所持規制は捜査権の著しい増大や冤罪の多発が危惧されており、準児童ポルノへの規制は日本国憲法第21条への抵触や表現の自由の侵害が指摘され、個人的法益の保護から抽象的な社会的法益保護に対象を拡大し過ぎているとの疑問が投げかけられている。

詳細は児童ポルノ、準児童ポルノをそれぞれ参照


[編集] 日本ユニセフ協会大使
1998年、チャンは日本ユニセフ協会大使に就任した。就任後、これまでにタイ、スーダン、東ティモール、フィリピン、イラク、モルドバ、レソト、インドを公式訪問し、現地で目にした子どもたちの窮状を伝えるほか、『わたしが愛する日本』などの著作で、平和を目指す提言を行っている。

なお、「日本ユニセフ協会大使」は「財団法人日本ユニセフ協会」が任命する称号である。それに対して、黒柳徹子やオードリー・ヘプバーンらが務める「ユニセフ親善大使」は「国際連合児童基金」(UNICEF)が任命する称号である。両者は全く別の称号であり、混同しないよう留意が必要である。

しかし、チャン本人は「私が九八年にユニセフの大使になった」[1]、「私が大使に誘われたとき、ユニセフから『私たちは一番弱い子供の声になりたいの。だから、一緒にやってくれませんか』と言われた」[2]と主張している。なお、日本では軽犯罪法第1条15項などにより「称号若しくは外国におけるこれらに準ずるものを詐称し」た者や「資格がないのにかかわらず」「似せて作つた物を用いた者」は「拘留又は科料に処する」と規定されている。








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