中澤裕子
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この項目では元モーニング娘。の中澤裕子について記述しています。同姓同名の中澤優子と名乗る人物については中澤優子をご覧ください。
中澤裕子
基本情報
出生名 中澤裕子
出生日 1973年6月19日(34歳)
血液型 O型
出身地 日本 京都府
ジャンル J-POP
職業 歌手
活動期間 1997年-現在
レーベル zetima
事務所 アップフロントエージェンシー
共同作業者 モーニング娘。
あか組4
H.P.オールスターズ
プリプリピンク
公式サイト ハロー!プロジェクト公式プロフィールページ
表・話・編・歴
中澤 裕子(なかざわ ゆうこ、1973年6月19日 - )は日本の歌手、女優、タレントである。所属事務所はアップフロントエージェンシー。ハロー!プロジェクトのリーダー。元モーニング娘。のメンバーで、初代リーダーでもあった。愛称はゆうちゃん。京都府福知山市出身。血液型はO型。身長は158cm。
モーニング娘。活動の初期には、中澤ゆうこ名義で演歌歌手としてソロ活動をしたこともある。
目次 [非表示]
1 人物、エピソード
1.1 姐さんイジリ
2 略歴
3 音楽
3.1 シングル
3.2 限定リリース
3.3 アルバム
3.4 ビデオ・DVD
4 出演
4.1 テレビ番組
4.2 テレビドラマ
4.3 ラジオ
4.4 インターネット
4.5 映画
4.6 舞台
4.7 CM
5 書籍
5.1 写真集
5.2 エッセイ
5.3 単行本
5.4 その他
6 所属ユニット
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
[編集] 人物、エピソード
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OLから転身し、24歳でモーニング娘。の結成時のメンバーとなる。10代を主体としたメンバーの中で、良きお姉さん(姐御)として親しまれた。ファンや一部タレント、スタッフからは姐さん(ねえさん)や中澤姐さんなどと呼ばれることもある。
勝気な性格で、自分にも他人にも厳しい部分もあり、保田圭は「他人には厳しいが、自分にも厳しいから皆が付いて来るのだ」と言っており、ハロー!プロジェクトメンバーからも一目を置かれている。
占い師に「本当は温厚な性格。『自分はダメだ』と思ってバッサリ切ってしまう。短気を起こしてはダメ」と忠告され、「当たってる!」と言った。
キス魔であり、市井紗耶香のファーストキスを奪った。
かつてはパンクミュージック(コブラなど)を愛聴。
矢口真里や保田圭と一緒に焼き鳥屋やカラオケボックスに行く。2006年3月23日放送の「とくばん」で「裕ちゃんは居酒屋のメニューでささみがないとキレるんです」と保田圭に暴露された。
「家族の話はそんなにしなかった」と言うわりに、母や妹の話をTVやラジオ、コンサートでよく話す。母が8月28日、妹が12月26日と誕生日を公表している。妹は既婚で娘がいる。
モーニング娘。卒業の理由は、本人は「年齢による体力の限界を感じてくるようになった。他のメンバーがこなせる振りで自分は息を切らすようになってきたから」と言っている。
バナナとトマトが大の苦手である。特にバナナは見るのも嫌で、部屋にあるだけで気分が悪くなるほどである。辻希美は「中澤裕子がモーニング娘。を卒業して何が一番変わった?」と訊かれて「楽屋でバナナを食べてもいいようになった。」と答えた。しかし、トマト嫌いにもかかわらず「Hello! Project SPORTS FESTIVAL 2006」のチームではなぜか「レッドトマト」のリーダーになっている。
好きな食べ物はモヤシで、好きな色は紫。嫌いな生き物はカエル、虫である。辻希美に番組内で虫のオモチャを投げつけられ、辻を半泣きで叩いたことがある。
豹柄の服を好む(室内でも豹柄のバスローブやベッドカバーなど愛用)。
お笑いコンビクールズ(プロダクション人力舎所属)の森脇優雅はいとこである。
高校(京都府立福知山高等学校)商業科時代の中澤は、デビュー後のイメージと逆に、「口数少なくおとなしい子だった」と当時の中澤の先生は話した。しかし「暴走族関係者との交友があり、よくバイクの後部座席に乗せてもらっていた」と記している書籍もある。
今でこそハロー!プロジェクトリーダーだが、以前は実は集団行動が大の苦手だった。小学校時代、運動会の玉入れなど、皆で力を合わせる競技が大嫌いだったと発言(フジテレビ系トーク番組『ごきげんよう』より)。「ASAYAN」シャ乱Q女性ボーカルオーディションのサバイバル合宿について、「(集団行動が)嫌で嫌で、早く帰りたかった」と当時の心境を語った。
電話が嫌いであり、相手がメールでは伝わりにくいことを電話で話そうと掛けてきても、ほとんど出ない。そのため保田圭は「裕ちゃんが電話に出たら奇跡だ」と言った。『うたばん』(TBS)の企画で同じ年で同局の安住紳一郎アナウンサーと電話番号の交換をしたが、このとき教えた番号はまったくのデタラメであった。のちにそれを指摘されると、「誰に対してもそうなんです」と答えた。
男勝りな性格であり、2000年ごろの「うたばん」や「ハロー!モーニング。」などで自分を「オレ」「ワシ」と呼んでいたこともあった。これは他のメンバーにも影響を与え、後藤真希や飯田圭織がラジオで「オレ」と言ったり、矢口真里が「おいら」と言ったりしていた。
かつて放送されていた自らのラジオ番組で、自分のことを「エロの塊だ」と語ったことがある。
幼少期に実父を亡くしており、かつてテレビ番組でそのことに触れたあと「ハッピーサマーウェディング」の台詞を歌った際には号泣した。
著書「ずっと後ろから見てきた」では、「モーニング娘。がオーディション当初の建前や目論見と異なりアイドル的な売られ方をすることを自らの年齢と照らし合わせ、戸惑いを覚えた」と記している。
グラビアアイドルの中澤優子と漢字表記で4文字中3文字が同じである上に、読みは全く同じ。この2人はGyaOで対談したことがある(2006年10月9日放送の「ミスマガ! #9 夢の共演が実現 中澤裕子×中澤優子」)。
自身では名字の「澤」を「沢」と略して書くことは決してしない、とのこと。理由は澤という漢字の中に幸せが入っているから、らしい。
2007年2月21日サッカーU-22日本代表Xアメリカ代表戦のキックオフ前に「君が代」斉唱。この日のために禁酒していたが、その日の夜は記憶がなくなるまで飲んだ。ちなみに2007年ハロー!プロジェクト(エルダークラブ)コンサート後の酒の席でも記憶をなくしている。同席していた飯田圭織、保田圭らにブーツを履かせてもらい、会計も立て替えてもらった。飯田に家まで送ってもらったことすら覚えていなかった。もっとも「潰れるまで飲むことはそんなに無い」(レギュラーラジオ番組「マジアサ」より中澤本人談)。後輩のメロン記念日や松浦亜弥は「酔うと可愛くなるタイプ」と番組などで証言している。
ラジオ番組にゲスト出演した際のトークの中に友人宅で後輩の田中れいなにサラダを作ってあげたことを話している。基本的に今まではあまり他人を自宅に招くことが無いので出きればその辺はこれからオープンにしていきたいとも言っている。
ソロコンサート、とくに関東地域開催の際はMCトークが弾み、コンサートの終演時間が伸びることがある。
2006年クリスマスコンサートでは本人作詞曲をお披露目しているが現在発売などは未定。〔2007.6.19 作詞曲 「聞きたいこと」をFC内 リリース〕
2007年5月、辻希美が俳優の杉浦太陽と婚約した際、モーニング娘。の他のメンバーは辻に「(子育ては)大変だけど応援してるよ」というメールを送ったが、中澤だけは「まさか辻ちゃんに先を越されるとは思わなかった」とショックを受けていた、ということを辻が結婚会見で述べた。
[編集] 姐さんイジリ
モーニング娘。在籍中には加護亜依や辻希美に「おばあちゃん」「三十路」などとよくからかわれていた(30歳を超えてからは、すっかり開き直っている)。ファンはこの行動を、「姐さんイジリ」と呼んでいる。ちなみに、20代のころはしょっちゅう「三十路」とからかわれていたが、本当に三十路になってからは逆にあまり言われなくなったとのこと(ハロー!モーニング。での発言)。また亀井絵里や道重さゆみに、「ヤンキー」「関西一の暴れん坊」などと、からかわれる。このように言われてはいるが、モーニング娘。加入当初年齢が低かった辻・加護には慕われている。とくに加護は中澤が卒業する際、「絶対やめちゃダメだよ」と大泣きしたという。この時、中澤は、辻と加護が「私のことをちゃんとメンバーとして認めているんだな」と認識したと、のちにインタビューで語っている。
[編集] 略歴
1997年 - テレビ東京系『ASAYAN』内の『シャ乱Qロックボーカリストオーディション』(優勝は平家みちよ)の最終候補に選ばれるものの落選。同じく最終候補に選ばれた石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香と共に、5日(後に4日)間で5万枚完売すればメジャーデビュー出来ると言う条件のもと、「モーニング娘。」を結成。課題曲『愛の種』を見事完売。メンバーの中で唯一の社会人経験者(タレントになる前は会社員だった)。
1998年
1月28日 - モーニング娘。として『モーニングコーヒー』でメジャーデビュー。初代リーダーに就任。
8月 - 「カラスの女房」で演歌歌手デビュー。デビュー曲でオリコン演歌チャート1位を獲得。2ndシングルからソロ活動名義を中澤ゆうこと改名。
12月31日 - モーニング娘。として第40回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。NHK紅白歌合戦に初出場。
2001年
4月15日 - モーニング娘。から卒業。ソロ活動に専念し、歌のジャンルも演歌からポップスに変更する。歌手活動の名義も本名に戻す。
ただし、卒業前に公演を発表されていた、モーニング娘。初となる主演ミュージカル「LOVEセンチュリー -夢はみなけりゃ始まらない-」(同年5月)には、卒業しながらもほぼモーニング娘。の一員として出演しており、劇終了後のスーパーライブでもモーニング娘。と共に在籍中の曲を歌っている。また、このミュージカルでは座長を任されていた。
6月 - 『ハロー!モーニング。』2代目司会者に就任。2003年5月まで2年間番組司会者を務めた。
11月29日「FOLK SONGS」(アルバム)をピッコロタウンレーベルより市井紗耶香とリリース。以後FSシリーズには必ず関与する。
2002年 - ソロとして初めての全国ツアーを行う。
2004年 - TBS系愛の劇場「ほーむめーかー」に主演。主題歌も本人歌唱の「DO MY BEST」。
2005年 - 大晦日の第56回紅白歌合戦で、モーニング娘。の現メンバー・旧メンバーとともに、LOVEマシーンを歌唱した。