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2008.04.09(Wed)


モーニング娘。の結成日について
このグループの結成日については、公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれていることがある。これは「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日が複数あるためであると考えられる。「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日としては、

1997年8月20日 - グループの結成について実際にメンバーに対する意思確認が行われた日
「モーニング娘。5+3-1」(宝島社)ではこの時を「モーニング娘。誕生の瞬間」としている。
1997年9月7日 - グループの結成が発表された日(8月20日収録分のASAYAN放送日)
公式サイトや公式資料ではこの日をモーニング娘。の結成日としていることが多い。[8]
1997年9月8日 - プロデューサーのつんく♂が「モーニング娘」を発案した日(「。」はまだない)
1997年9月14日 - モーニング娘。というグループ名が決定したことが公表された日(ASAYAN放送日)
1997年11月3日 - 5万枚手売り初日(インディーズデビューの日)
1997年11月30日 - 5万枚手売りを達成し、メジャーデビューが決まった日
「モーニング娘。×つんく♂」(ソニー・マガジンズ)では、結成時のメンバーの在籍期間をこの日からにしている。
1998年1月28日 - メジャーデビューの日
などがある。なお、つんく♂がモーニング娘。誕生10年記念隊に寄せたコメントでは、「モーニング娘。は1997年の9月8日に、お台場はフジテレビのとある楽屋で、僕が命名したときに魂が入った」という記述と「2007年11月3日の10歳のお誕生日」(つまり結成日は1997年11月3日)という記述の両方がある[9]。また、この他にCDの販売関係のサイトや資料やマスコミなどでは、インディーズデビューの日やメジャーデビューの日をモーニング娘。が始まった日としているものが多い。


[編集] 追加メンバーの加入日について
追加メンバーの加入日についても、しばしば公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれていることがある。これも、結成日と同様に「加入日」と解釈しうる日が複数あるためである。

「加入日」として解釈しうる日としては、

加入が実際に決まった日
加入が本人に伝達された日
加入が公表された日(合格が発表された番組の放送日)
初合流したコンサートなどの日
初参加したCDの発売日
といった日がある。このうち1と2については公表されないことが多いため、通常は3以降のいずれかの日が加入日とされている。公式資料では加入が公表された日を加入日としていることが多い。加入が後になればなる程、合格発表から合流までの期間が長くなる傾向にある。これは、後になればなる程コンサートに出演した時に覚える必要のある曲が多くなるなどの事情があるためだと考えられる。また、合格発表からコンサートツアーに本格的に合流するまでの間に「お披露目」的に本格合流する以前のコンサート(1つ前のツアーの最終公演など)に挨拶だけあるいは1曲だけ参加することが行われることがある。さらに6期メンバー以降はその間にファンクラブの会員を対象にした握手会を行っている。このような状況のため、新メンバーが加入した日より後にリリースされたCDや写真集に新メンバーが参加していないと言うことがしばしば起きる。また、テレビ番組の収録も初参加CDの曲披露までは別行動になることが多い。中でも、2001年10月13日放送の「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ系)内のコーナー「私立岡村女子高等学校。」の修学旅行企画では5期メンバーが参加しておらず、また2003年4月5日放送の同番組の期末テスト企画では6期メンバーが参加していないのも、初参加CDの曲披露のためのテレビ出演より前だったためだと思われる。

期 公表日 お披露目日 コンサート正式合流日 初参加CD発売日
2 1998年5月3日 − 1998年7月12日※1 1998年5月27日
3 1999年8月22日 1999年8月23日 1999年9月19日 1999年9月9日
4 2000年4月16日 − 2000年5月20日 2000年5月17日
5 2001年8月26日 − 2001年10月21日※2 2001年10月31日
6(藤本) 2003年1月7日 2003年5月5日 2003年5月31日※3 2003年7月30日
6(藤本以外) 2003年1月19日 2003年5月5日 2003年7月19日 2003年7月30日
7 2005年5月1日 2005年5月6日 2005年7月10日 2005年7月27日
8 2006年12月10日 2007年1月27日 2007年3月17日 2007年2月14日
8(留学生) 2007年3月15日 2007年5月6日 2007年7月15日 2007年7月25日

※1:モーニング娘。としての初コンサートの日であり、初期メンバーにとっても初めてのコンサートであるため、厳密には「この日から合流した」という表現はおかしいとも言える。
※2:紺野あさ美のみTV番組収録中の怪我(うたばん事故)のためこの日は挨拶のみ。曲に合流したのは2001年11月3日からである。
※3:ミュージカル「江戸っ娘。忠臣蔵」初日。通常のコンサートでの合流は他の6期メンバーと同じ2003年7月19日からである。


[編集] 加入・脱退(卒業)を繰り返すグループ編成
「モーニング娘。は、加入と脱退(卒業)を繰り返しながら進化していくグループである。」と公式に表明されている。このメンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法は、メンバーが脱退しても解散しないグループとして、プエルトリコのアイドルグループメヌードを参考に、結成に深く関わったという音楽評論家の福田一郎(故人)が提案し、グループ編成されたということが公式に発表されている。しかし、1997年〜1999年頃に出演していたテレビ番組内での状況、そして番組内でのつんく♂やメンバーの発言、コンサートのMCとの矛盾点もあり、1997年の結成当時から加入と脱退(卒業)を繰り返すシステムを考えていたかどうか、もしくはそのシステムが結成当時から確立していたかどうかは不明な点が多い。

後につんくは♂「モーニング娘。はその年(1998年)の紅白に出て解散する予定だった。」と語っていること(「モーニング娘。×つんく♂」でのインタビューなど)。
メジャーデビューの条件だったCD5万枚手売りに失敗した時、メンバーの追加・脱退がないまま即解散の可能性があったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
グループ名の候補に第1期メンバーの属性から連想された名前が挙がっていたこと。メンバーの入れ替えを前提としているならばそのような名前は候補として挙がることはない(詳細は後述のモーニング娘。#グループ名の由来参照)。
1997年〜2000年のモーニング娘。のオーディションや活動をドキュメンタリー風に追っていたテレビ番組「ASAYAN」において、福田一郎が上記の提案を行ったシーンが放映されなかったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
メンバーが加入・脱退を一度だけのものと思っていた節の発言があり、事務所やスタッフから繰り返されるグループであるという説明を受けていない点(福田明日香脱退発表後に出演した1999年3月23日放送の「とくばん」〈TBS系〉で司会の石橋貴明からのメンバー補充を行うのかとの問いに、中澤裕子は「行わないのではないか」、安倍なつみは「増えないと思います」と答えていたこと。)。
このことが2003年11月の福田一郎の告別式(偲ぶ会)の会場にて発表され、発表が遅れたこと。
ただし、これらの件に関して、事務所の先輩でもある田中義剛が自身のブログにおいてKANや森高千里のブレイク秘話と一緒に当時のエピソードとして、所属事務所社長(当時)の山崎直樹の指示によって、メヌードを参考とし、グループを結成したという経緯が掲載されており、さらに「ASAYAN」はモーニング娘。のPR番組的位置付けでしかなかったため、所属事務所がすべての情報を同番組に提供していたかなどの疑問がある。また、同番組は過剰な演出が多いことで知られているため、これらの番組での発言も演出的なものに過ぎないという意見が多い。実際に当時放送された内容とメンバー達が実際に経験したことが異なることは、1999年に出版された同番組の公式本とされる「モーニング娘。5+3-1」の中で明らかにされている。さらに、福田一郎は音楽評論家であり物書きを本職としているため、タレントとは違いメディアへの露出も当然少なく、山崎ら事務所上層部の出演も一切なかったように同番組に出演していたのはプロジェクトに関わったすべての人間ではなく、関係者のほんの一部であることは間違いない。従って福田一郎が同番組に出演していなかったという理由だけで関係性を否定することはできない。さらに、メジャーデビューのわずか3か月後に2期として新メンバーを追加で加入させている事実を考えると、遅くともこの時点でメンバーの増加を考えたグループ編成であったのではと推測できる。また、この事実が発表された状況も、福田一郎の告別式(偲ぶ会)と厳正された場所であったことで信憑性が高いことや、故人の前で卒業&現役メンバー全員で「LOVEマシーン」を披露していること、中澤裕子が語った秘話など、福田一郎が本グループと深く関わりがあったことは間違いない。いずれにしても、予想外に脱退したメンバー(福田明日香・石黒彩・市井紗耶香)を補充する名目で同番組に出続けられた影響は大きい。追加メンバーオーディションを行うことで、『夢のオーディション・バラエティ』を標榜していた同番組への継続的な出演が可能になったことが番組内でのPRなど以後の活動に有利に働いたと言える。


[編集] 宝塚歌劇団との比較考察
公式的な場でも関連性を指摘されているものとして、メンバーチェンジを繰り返しながら存続するグループという点で、宝塚歌劇団(以下、宝塚)との類似性が挙げられる。日本の芸能界においてメンバーチェンジを繰り返しながら優れたエンターテインメントを提供し、スターを輩出し続ける集団として宝塚は鉄壁の地位を誇っており、同じ女性の集団という共通点もあるためとされる。さらに2003年4月に放送された「エンタの神様」(日本テレビ系)の中でモーニング娘。と宝塚が一緒になって「Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜」を歌うという夢の共演を行った際に、つんく♂や振付師である夏まゆみが曲作りや振り付けで宝塚を意識した部分があることを語っている。同番組ではモーニング娘。がしばしば行っている段差のあるステージでのパフォーマンスは、元々宝塚が大階段という形で行っていたものであるとも語られていた。また、グループに入って来る人間をその時期によって「期」と呼んで分けるやり方やグループを複数のさくら組やおとめ組などの「組」に分けて活動させるやり方も宝塚と共通している。そして、宝塚の退団は多くのマスコミが取り上げるため、その様な部分も共通する。 また、2006年8月にモーニング娘。およびハロー!プロジェクトが宝塚と組み、手塚治虫原作「リボンの騎士」のミュージカル化をした際も、ミュージカルの構成を担当した宝塚の演出家木村信司が「モーニング娘。と宝塚は似た雰囲気を持っている」とコメントしている。

しかし、結成から「ザ☆ピ〜ス!」(2001年)のヒットあたりまでは宝塚との類似性について語られることはなかった。下記に挙げるように「期」や「組」は2002年以降に見られる。

1998年5月加入の第2期メンバーや1999年9月加入の後藤真希(第3期メンバー)は単に「新メンバー」または「追加メンバー」と呼ばれていただけであり、また2000年4月追加の第4期メンバーは「第3次追加メンバー」と呼ばれ、2001年8月追加の第5期メンバーも追加された当時は「新メンバー」と呼ばれていた「期」と呼ばれるのは2002年募集の第6期からであり、その時点から遡って1期〜5期と呼ばれるようになった。
いくつかのグループ(ユニット)に分けての活動も、本体のメジャーデビューと同年のタンポポから始まり、後にプッチモニ、ミニモニ。が続いた。それらは名前に「組」は付かなかった。
2000年〜2001年当時、安倍なつみはユニットには所属せず、矢口真里と加護亜依は2つのユニットを掛け持ちし、中澤裕子はソロでも活動させるなど、全員を均等にグループ分けしているものではなかった。
均等にグループを分割して「組」と分けて活動すると発表したのは、2003年1月28日からである。

[編集] 他のアイドルグループなどとの比較考察
宝塚と比較される以前から、モーニング娘。の比較対象として幾つかのアイドルグループが持ち上がっていた。別冊宝島「音楽誌が書かないJポップ批評12 まるごと一冊、モーニング娘。大特集」や「モーニング娘。×つんく♂」などで他のグループとの比較がなされている。

ジャニーズ(SMAP)
モーニング娘。およびハロー!プロジェクトは、活動状況やグループ展開などの戦略的売り込み方法など共通点が多々あるため、女性版ジャニーズと捉えられることが多い。その中でも特にSMAPはモーニング娘。と「国民的アイドル」の名を二分していた状況もあり、比較されることが多かった。
相違点としては、SMAPは1996年5月末に森且行のオートレース選手への転向に伴う脱退後もメンバーを補充しなかったこと、グループに属したままでのソロ活動が頻繁であることが挙げられる。
オスカープロモーション(美少女クラブ31)
芸能プロダクションのオスカープロモーション所属タレントによるユニット、美少女クラブ31とも比較されることがあった。
2003年に同事務所所属の全日本国民的美少女コンテスト出身者などで構成された「美少女クラブ21」が結成された。グループ結成の記者会見席上において、オスカー側の関係者が質疑応答で「将来はモーニング娘。の様なグループを目指し、グループ作りをして行きたい」と発言していることや、「森田クラブ」「ティーンエイジクラブ」「D.D.D」などのグループ内ユニット展開の他、フットサルチーム「表参道BEAUTY」などの活動展開は明らかに本グループを意識した戦略であり、オスカープロモーションが本グループに対して非常に強いライバル意識があると考えられ、それらの共通性が比較対照とされる要因である。しかし、2007年現在、美少女クラブ31および派生ユニットはCD売り上げで苦戦したこともあったか、派生ユニットのほとんどが休止状態である(本グループのメンバーを含めたハロー!プロジェクトのユニットも同様)。
本グループと美少女クラブの相違点は、グループとしての活動よりもソロでの活動割合が多い、歌手活動を重視で活動する本グループに対し、女優またはグラビア重視で活動しているという活動状況である。
おニャン子クラブ
1985年〜1987年に活動していた女性アイドルグループ、「おニャン子クラブ」(以下、おニャン子)がある。
おニャン子からの国生さゆりや城之内早苗などのソロデビュー、「うしろゆびさされ組」「ニャンギラス」「うしろ髪ひかれ隊」などのグループ内ユニット展開が共通点である(おニャン子のグループ内ユニット展開は、宝塚の影響ではなく、モデルにした「オールナイターズ」からの流れである。)。
相違点としては、おニャン子は番組企画のテレビ局主導グループで番組のアシスタント的役割であったのに対し、モーニング娘。は所属事務所主導グループである点(そのため、おニャン子の場合は夕やけニャンニャン〈フジテレビ系〉の番組内でしか生きる術がなく、番組終了と同時にグループ活動を終えている。)。出身がオーディション番組とバラエティ番組の違い(最初から歌手デビューを目指して番組に参加した本グループとバラエティ番組のアシスタント的立場から始まったおニャン子の目的意識の違い)、パフォーマンスクオリティの違い(つんく♂とおニャン子の仕掛け人の1人である秋元康の2人で行われた対談で、秋元はおニャン子は女子校の放課後をイメージさせた素人の延長線上の素人集団だったが、本グループは歌唱力、ダンス、仕事に対する意識など完成されたプロの集団であると語った。)などが挙げられる。
2000年〜2001年頃までおニャン子と比較されることもあったが、第5期メンバーが加入した頃になると比較されなくなった。
また、おニャン子と同様に秋元がプロデュースするグループで、素人性を売りにしていることなどで、平成のおニャン子と言われる「AKB48」とも、夏まゆみが関係していることなどで一部で比較されることがある。
野猿
「サマーナイトタウン」や「抱いてHOLD ON ME!」がヒットしていた1998年〜1999年頃は、「うたばん」で野猿vsモーニング娘。対決を行っていたり、番組の企画でメンバーの入れ替えが行われたり、中澤裕子のOL出身という経歴と野猿の番組スタッフ出身という、一般人から芸能人へ転身したところが似ていると石橋貴明が発言していたりと、番組内で野猿と比較されることもあった。
相違点としては、野猿は男性グループであること、とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ系)で企画された番組企画のグループであること、とんねるず以外のメンバーは芸能活動と並行して番組スタッフを続けたことである。
ザ・ドリフターズ
ナンシー関(故人)は、自身のコラムの中でザ・ドリフターズ(以下、ドリフ)と1999年〜2001年あたりのモーニング娘。を比較していたことがあった。中澤裕子をいかりや長介、安倍なつみを加藤茶、後藤真希を志村けんに例えたもので、2001年の中澤卒業を、いかりや長介のいないドリフになるという指摘がファンサイトなどでなされていたこと、福田明日香の脱退後に勢いに陰りが見えたモーニング娘。が後藤真希加入で息を吹き返したところが、ドリフの荒井注脱退・志村けん加入と重なるという指摘である。その後の中澤卒業・第5期メンバー加入およびナンシー関の逝去により、ドリフとの比較はなされなくなった。
東京パフォーマンスドール
つんく♂は、1990年代初期〜中期に主に原宿ルイードを拠点に活動していたアイドルグループ「東京パフォーマンスドール」(篠原涼子、仲間由紀恵、穴井夕子などを輩出したグループ。以下、TPD)のライブ会場(通称:ダンスサミット)に何度か足を運ぶなどTPDに魅了されていたこと、当時シャ乱QのメンバーとしてTPDがパーソナリティを務めるラジオ番組にゲスト出演した際に、将来はTPDの様なグループを作りたいと発言していることからも、TPDが本グループに与えた影響は少なくはないという意見もある。
共通点としては、本グループのようにグループ内ユニットとして「ゴルビーズ」「原宿ジェンヌ」など他にも複数のユニットがあったこと、メンバーのソロデビュー展開、卒業と新規加入が行われ、研修生(ハロー!プロジェクトでいう「ハロプロエッグ」「ハロプロ関西」)などが存在したこと、ダンスや歌唱力などプロとして高いレベルのエンターテインメントを表現していたこと、姉妹ユニットの存在などである。また、本グループと同様にTPDも宝塚から影響を受けていると言われている。
相違点としては、TPDはレコード会社主導のグループで、メンバーの所属事務所がバラバラだったこと、TPD専用のイベント会場を持っていたことなどである。
なお、東京パフォーマンスドールの姉妹ユニットである大阪パフォーマンスドール(OPD)からはメンバーの稲葉貴子が1999年にハロー!プロジェクト入りしている(加入当時は太陽とシスコムーンのメンバーだった)。
SPEED
モーニング娘。と同様に同世代の少女達の憧れの対象として、多少活動期間が前後するが、「SPEED」との比較も1998年から2000年3月の解散辺りまであった。
当時は高いレベルでダンスパフォーマンスをするグループ同士としてライバルとしての比較も多かったが、年齢的にも近く、飯田圭織がSPEEDのメンバーである上原多香子と東京都立代々木高等学校の定時制クラスで同級生だったといったことなどもあって、中澤裕子などが後に語っている様にメンバー間は仲が良かったようである。
また、ハロー!プロジェクトと沖縄アクターズスクールは多数の女性アーティストやダンスグループ、スクールや研修生の存在など組織的に似ていることから比較対照に挙がる。
読売ジャイアンツ
「エース」や「4番打者」など野球用語などがしばしば使用されるモーニング娘。であるが、つんく♂がプロ野球セントラル・リーグのチーム「読売ジャイアンツ」(以下、ジャイアンツ)のファンであることで、ジャイアンツとの比較をすることがある。安倍なつみが脱退した当時、安倍の脱退を長嶋茂雄がジャイアンツを引退した時にだぶらせ、1つの時代の区切りかもしれないと語っている。また、後藤真希の脱退後に藤本美貴と6期メンバーが加入することが決定した当時、「うたばん」(TBS系)で司会の中居正広と石橋貴明が後藤の脱退を松井秀喜のFA移籍、5期メンバーの加入をロベルト・ペタジーニの加入に例えている。また、つんく♂は現在のモーニング娘。は全員4番打者であるとも語っている。ジャイアンツとの違いとして、プロ野球の様にトレードやFA制度もないため、強引な戦力補強は行わず、ドラフト(オーディション)での補強しか行わないなどの相違点がある。







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